俺は泣いて良いんだろうか。

父親は仕事はもちろんのこと、自転車のパンクからミニ四駆までこと細かに教えてくれた。尊敬している。昔は夜遅くまで残業してきて、それでも俺にかまってくれたっけなー。仕事について話してくれたのは俺が成人してからくらいだと思うけれど、仕事に対する意識が足りないとかよく焼酎飲みながら愚痴ってたっけなぁ。
父親に至っては俺の前で泣いたのは祖父・祖母が他界した時だけで、その時は本当に号泣してたっけな。母親が、「子供の前では泣き姿を見せちゃ駄目でしょ」って言ってたのを覚えてる。
親父、子供の前でも泣いても良い時があると思うよ。
泣いてる姿を見たのは一回だけで、他の全ては子供に配慮しての行動だったと想う。
映画とか見てよく泣いてるのを見るけどそれとは全然違ったね。俺もばーちゃん大好きだよ。じーちゃん大好きだよ。ばーちゃんお秩父方便が入った言葉も今でも覚えてるよ。
確か埼玉の実家の方に蜂が入ってきた時にとっさに電話したんだよな。「スズメバチが入ってきたんだけど、どうすりゃいい!?」って俺は必死に聞いた覚えがあるよ。その時に「んなもん手ー出さなければば大丈夫」って言葉に落ち着いたっけなぁ。もう何年も前のことで記憶が薄れて悲しいよ。
元々喋らない人だったけれど、たまに自分が育ててる植物について話してる時のことはよく覚えてるよ。本当に無言な人だったけど、秩父方言で俺にいくつも色んなことを教えてくれた。ありがとう。
ばーちゃんは本当に世話焼きだけど母親に比べたら甘かったなー。そろそろ遊び道具片付けろとか、うどん作り手つだったりとか楽しかった。ばーちゃんは何事にもしっかりしてて、今でも言葉が頭の中に思い浮かんでくる。
遊んだ道具を片付けろだのぶつぶつ言いつつ掘りごたつの中に入ってたのは本当に懐かしい思い出。ごめんね、ばーちゃん。遊んだ道具くらい片付けるべきだよね。
もう今となっては二人とも他界してしまったけれど俺の心の中にしっかり残ってる存在です。今も天から見送ってくれてるんだろうなぁと思ってます。
今回は父方の祖父・祖母だけでしたが、このブログじゃ書ききれない思いで詰まってます。泣いてからじゃ遅いんだよ・・・

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